Josef Wiedemann めぐり(前編)
前の更新から早くも一ヶ月が経ってしまった。
せっかくミュンヘンに一年間いるのだしミュンヘンの建築のことや都市の歴史のことは知り尽くしておきたいと思っているのだけれど、気が付けば留学も残り4ヶ月。
そろそろ焦らないといけないということで、今回はミュンヘンゆかりの建築家の建築を巡るツアー第一弾。
建築家の名前はJosef Wiedemann
1910年に生まれて2001年に亡くなった建築家で、もともとミュンヘン工科大学の教授だったそう。そもそもこのツアーもとある授業で彼のことは知っておかないとまずいよと言われたのがきっかけ。(自分の大学で言うなら、清家清や篠原一男を知らないようなものか。)
と前置きはこの辺にして本題へ。
1. Siegestor
日本語に直訳するなら勝利門。つまり凱旋門。
ミュンヘンの旧市街から北北東に伸びるLudwigstraßeという大通りの末端に位置していて、ここを境に通りの雰囲気も変わる、そんな場所にある。
もともとは1823年にバイエルン国王Ludwig Ⅰ世によって計画されて、その時代に彼に重用されたFriedrich von Gärtnerという建築家 (この辺りの話ももう少し勉強と調査が進んだらまとめたい) によってローマにあるコンスタンティヌスの凱旋門を模してデザインされたもの。
それが第二次世界大戦で破壊されたものを再建する仕事をしたのがWiedemann、という話。
この写真を見ると分かるのだけど、古典のオーダーの柱から上が不自然にシンプル。
前に見た時は珍しいものもあるんだなと思っていたのだけれど、これはどうやら壊れた部分をあえて元通りには戻さなかったということらしい。(大学の図書館にある本で破壊された直後の写真を確認したらまさにこの平坦になっている部分が見事に壊れて無くなっていた)
ちなみに反対側はというと
元に戻されている。
復元しなかった側は例えばアーチの途切れ方が場所によってまちまちだったりしている。つまり破壊された状態をしっかりと歴史の一部として形に留めつつ門としては復活させるという方法を取っていて、これも建築を再建するときの一つの考え方なのかなと。
2. Palais Leuchtenberg und Odeon
これも彼が第二次大戦後の再建に関わった建築。1つ目のSiegestorもそうだけれど、戦後のミュンヘンの建築家の役割は破壊された建築物の再建というのが大きかったそうな。Odeonsplatzという旧市街の北にある広場に面した建物で、Siegestorが建てられたのと同じ時代にこれまたLudwig Ⅰ世に重用されたLeo von Klenzeという建築家によって建てられた。
この建物のファサードを再建と役所のオフィスへのコンバージョンがWiedemannの仕事で、もともと中にあったコンサートホールと地上階を繋いで中庭に変えたのが特徴らしいのだけれど、中に入れなかったのでとりあえず外観の写真のみ。
3. Kaufhof am Marienplatz
こちらは1972年に完成した商業施設で、中にはGALERIAというミュンヘンではよく見かけるデパートが入っている。
なかなか過激な外壁の形をしている。
ちなみにこの建築はミュンヘンの人々から嫌われているようで、なぜかと言うと建っている場所がこちら。。。
Marienplatzというミュンヘンの中心広場の角に建っていて、さらにNeuhauserstraßeという旧市街にあるメインのショッピングストリートの一つに面しているから。
こういうストイックな外観のギザギザの端っこから商魂がチラリと見える感じは商業建築として嫌いじゃないけれど、、、まあ立地が違っていたらいい建築だったのかもしれない。
残念ながら現代建築の悪い例として引き合いに出されることが多いそうな。
なかなか先が長くなりそうなので、ひとまず3件分書いたところで一旦筆を置こう。
後編に続く、ということで。